【恩師との出会い】泉卓真が社長になるまで──株式会社いずみホールディングス代表取締役社長・泉卓真にインタビュー

泉卓真氏へのインタビュー第6回。前回はご本人の人間性に迫るべく、同氏の考える社長像について、また得意なことや苦手なことを語っていただきました。 今回は時をさらに前に戻し、北海道で生まれ育った泉社長がどんな少年時代を過ごしてきたのかをインタビューしてみました。 目次 1 祖父の介護を役割分担していた幼少期1.1 経営者には絶対ならないと決めていた2 泉卓真の人生を変える「先生」との出会い3 スコップを持ちたくなくて専門学校を中退 祖父の介護を役割分担していた幼少期 ──それではもう少し踏み込んで、泉社長の幼少の頃のお話を伺ってもよろしいでしょうか。泉社長は、お生まれは北海道なのですよね。 泉 はい、そうです。当時いくつかの「大変」があったなと思っていて、その中でも大きかったのは介護かな。 私の家は2世帯・6人で暮らしていたのですが、僕が物心ついた頃には既に、祖父が話ができず、身体も動かないという状態だったんですね。つまり介護をしなければいけなくて。 介護って、24時間トイレからお風呂まで全部お世話をしなければいけませんでしたから、僕は男手ということもありますし、身長170㎝以上の大の男の人を、担いでお風呂やトイレに行かせたり、散歩に連れて行ったりしていました。 経営者には絶対ならないと決めていた 泉 そんななか、父親の事業が失敗しました。 父は昨年亡くなったのですが、典型的な「零細企業の社長さん」で、財務や数字の事は大の苦手という人でした。創業時こそ私は父親を反面教師にしましたがそれこそ経営者になるほんの少し前までは、「自分は絶対に経営者にはならない」と固く決めていたくらいでした。 ──その幼い頃の記憶の中で、今のお仕事にも繋がるものは何かありますでしょうか? 泉 はい、たくさんありますよ。まず父親が、うまくいったかどうかは別として、経営者だったということで、僕もそれを強く意識しましたよね。自分は経営者にはならないぞ、という意味で。経営者になると失敗する、家族を不幸にすると思いました。 そんな感じで、自分はもっと安定した仕事をしようと思っていたのですが……これはこれで意識しているでしょう? 「ならない」とは言っていたものの、経営者というものの存在自体は、小学校3年生くらいの時点で、誰よりも早く意識していたと思います。 もちろんそう意識していた分だけ、ならないように、近

この記事の閲覧は会員に限定されています。ログインしてください。

ログイン
   
新規会員の登録はこちら(登録は無料です)
「登録する」に進むことで、プライバシーポリシーに同意したものとします。
プライバシーポリシー:https://www.oneplat.co.jp/privacy-policy/
*必須項目

この記事を読んだ方で「受け取る」納品書や請求書を「電子化」することに興味がある方はいませんか?

oneplatは、納品書や請求書をデータで受け取れるサービスです。

会社組織の財務・経理部門や、支店・店舗・工場などの、 管理業務における下記の課題解決にoneplatは大きく貢献できます。

  • 会計/販売管理システムとの連携で仕訳入力が不要に
  • 取りまとめたデータを自動で取り込み
  • 総合振込データの作成や仕訳の消込も自動入力

導入後は複雑なデータ入力業務に時間を奪われることなく、本来の業務へ時間とコストを割くことが可能です。

このウェブサイトでは、他にもコスト削減・業務効率化に役立つ資料を無料で配布しておりますので、 是非、この機会に一度資料ダウンロードしてみてください。

oneplus編集部

この記事の執筆者

  • 【何事も「ちょうど良い」と受け止める】泉卓真が社長になるまで──株式会社いずみホールディングス代表取締役社長・泉卓真にインタビュー

最短5分

財務・経理部門における
DXのお問い合わせやご相談についてはこちら

インタビュー の最新記事

お役立ち資料はこちら